建築のアイデアコンペに勝つ方法と、邑楽町の集団訴訟事件

退職してからいろいろやろうと思っていたことはあるのだが、対外的な締め切りがないと、なかなか手が動かない。たまたま興味深い建築コンペの案内を目にしたので、モチベーションアップのために取り組んでみようと思った。

図書館で関連資料を探していて、目についたのが新建築社から出ている『コンペに勝つ!』という本。過去40年、セントラル硝子国際設計競技の最優秀作品を紹介し、審査員の講演・対談を収録したものだ。

現在も続いているこのコンペに応募するなら必読。他のアイデアコンペや実施コンペも含めて、審査員がひそかに考えていることを知るには有益な資料だった。コンペに臨む心構えから他より目立つためのハウツー要素も含めて、参考になるテクニックが散りばめられている。

また、山本理顕氏の講演では当コンペの内容とは別に、群馬県邑楽(おうら)町の騒動について詳しく触れられている。後からこの事件について調べる際には、事件当事者の証言資料として役に立つと思う。

建築のアイデアコンペとは

他分野の人にはよくわからない制度かもしれない。庁舎や美術館など公共建築の設計者はコンペやプロポーザルで決まる場合が多いが、それとは別に「建築の実現を目的としない」アイデアコンペというジャンルがある。

主に学生向けに開催される設計競技で、優秀作は賞金をもらえるだけでなく業界雑誌で紹介されたりする(有名なのは『新建築』)。企業が独自に開催して雑誌に載らないものも含めると、毎年かなりの数のコンペが実施されている。募集情報は登竜門というポータルサイトにまとめられている。

アイデアコンペは学生・若手にとってまさに登竜門。建築の分野では若いうちから大規模な建築を設計して、トライ&エラーで学べる機会がない。バーチャルなコンペで腕を磨き、顔を売ったり実績を築きながら徐々に実作を手掛けていくというプロセスがある。

50年以上続く老舗コンペ

たとえ非実施のアイデアコンペでも、受賞歴があると経歴に箔がつく。クライアントに能力や信頼性をアピールできるし、就職の際に評価してもらえるかもしれない。

そのため、コンペ特有の抽象的なお題目かつ100倍を超える高倍率でも、多大な労力をかけて挑戦する人が後を絶たない。社会人になってみると、いまだに続いているのが不思議に思われるくらいの独特なカルチャーだ。

その中でもここで紹介されているセントラル硝子コンペ(通称ガラコン、ガラス・コンペ)は2019年で第54回目を迎える老舗のコンテスト。同じく1966年から始まっている新建築住宅設計競技と並んで、業界では広く知られている有名コンペといえる。

審査する側の心理

本書を読んで学生時代に取り組んだコンペのことを思い出した。後に大学の講義で学生の課題を評価したこともあるので、審査員の気持ちも何となくわかる。

隈研吾氏が対談で、「審査は面倒だが『なぜこんな案を選んだのか」と言われたくないので、ものすごいエネルギーをかけて図面を見る」という趣旨のことを発言しているのは同感だ。

他の審査員や応募者の手前、下手な案や凡庸な作品を選ぶのは気恥ずかしい。無数の応募案の中から、これはといえる作品を拾い上げてこそ、審査員としていい仕事ができたといえる。

そして実際のところ、審査する人は自分で価値がわからない作品を正しく評価できないと推測される。

建築作品の評価軸というのは多様で、誰しも自分の得意分野をもっている。自分の好みや作風と似た系統の作品なら、歴史的文脈における価値のようなものをジャッジできる。それとは反対に自分の守備範囲外の作品は当たりか外れかわからないので、選ぶのに勇気がいる。

審査員の好みに合わせる

日建設計の櫻井潔氏や伊東豊雄氏は、「審査員が誰かを読むこと」をコンペ勝利のアドバイスとして筆頭に挙げている。

良い案でも審査する人が違えば受かることもあるし、落とされることもある。例えば磯崎新と槇文彦はよくコンペの審査員をつとめる大御所だが、対極的な好みで作品を選ぶと本書では分析されている。

自分のコンペ歴を振り返ってみると、過去に選ばれた作品は審査員の好みとマッチしていたように思う。そこまで意図して狙ったわけではなく、他の応募者のレベルや運も大きく影響しただろう。しかし結果だけ見ると、いかにも審査員がつくりそうな雰囲気の絵柄・デザインが選ばれたという感じがした。

マーケティングの良し悪し

そのときの審査員に合わせて作風やコンセプトを器用に調整するというのは、実際のところ難しい。そのため伊東豊雄氏が「好きな審査員がいなかったら応募しない」と言っているのは正しい戦略に思われる。

自分の趣味を押し通すにしても、それが伝わる相手を選ぶのが重要。応募する前にまず勝てそそうな土俵を選ぶ。コンペにもマーケティングが必要なのだ。

一方で、応募する側にとってこういう小手先のテクニックがどこまで有益なのかわからない。

審査員のことなど気にせず自分が良いと信じる案を素直に出した方が、かえって評価されるかもしれない。あからさまに審査員の受けを狙ったプレゼンは毛嫌いされるし、他の応募者も似たような戦略で出してくると埋もれてしまうおそれもある。

ベンチャービジネスと同じで、コンペもそのときの状況や偶然に左右される要素が大きい。わずかな経験則を除いて、確実に「コンペで勝つ」マニュアルやメソッドなど存在しないのだろう。

コンペに勝った後

コンペに受かると賞金がもらえて雑誌に載る名誉も得られるが、果たしてそれが良い建築家になる必須条件かというと疑わしい部分もある。特にガラスコンペや新建築住宅設計競技のテーマは文学的で、実社会のニーズからかけ離れている。

本書に収録された過去40年の最優秀受賞者を見ると、その後有名になった人はそれほど多くなさそうだ。失礼ながら自分のわかる範囲では、出江寛(1966年受賞)やクライン・ダイサムアーキテクツ(1990年受賞)程度。

学生のうちから100万や200万もの賞金を受け取ると、宝くじが当たったように人としてダメになってしまうのだろうか。コンペで選ばれることは名前を売るチャンスだが、それだけでその後の建築家としての成功が約束されるわけではない。

狭義の建築家とは、施主とのコミュニケーションや施工管理の能力まで含めて、あくまで実作で評価されるように思われる。アイデアコンペに受かるスキルというのは、建築家に求められる能力のひとつに過ぎない。

邑楽町の訴訟事件

本書のテーマからそれる気はするが、冒頭で山本理顕氏が群馬県邑楽(おうら)町の役場庁舎コンペに対して恨み節を語っているのは興味深かった。コンペで選ばれて実施の運びになったが、選挙で町長が変わってご破算になってしまったという内容だ。

邑楽町の一件は2005~2006年頃に話題になったようだが、世間ではそれほどニュースとして取り上げられなかったのだろう。自分も建築業界から離れていたせいか知らなかった。その後、建築家側の集団訴訟にまで発展して、町とは和解して決着したらしい。

たとえ実施コンペで勝っても、経済的な理由などでプロジェクトが流れてしまうことはよくある。近年では、新国立競技場コンペにおけるザハ・ハディド案の白紙撤回が記憶に新しい。

邑楽町のケースが物議をかもしたのは、斬新な山本案を廃止した後、いかにも凡庸な箱物庁舎が建ってしまったという点だ。また住民参加の建設委員会と折衝して、苦労しながら設計案をまとめてきた経緯からしても、当事者の悔しさをうかがわせる。

建築業界からすれば、ユニークな当選案が撤回されてつまらない建築が建ってしまったのは、たちの悪いジョークと受けとめられただろう。さらに問題が根深いのは、山本氏も認めているとおり、新市長をはじめとした一派は彼らなりの正義感を持って反対運動に取り組んであろうという点だ。

建築家 vs 一般人

一般の人が思い描く良い建築のイメージとは、「便利で丈夫で長持ちして、さらに安ければなおよし」という程度だろう。美意識の基準は人さまざまでも、機能とコストを重視する点についてはたいてい一致すると思われる。

もしコンペ受賞案を実現するのに予算が何倍も膨れ上がったうえ、実際建ってみると使いにくくて雨漏りがひどいというのでは、町長や議員の責任問題になりかねない。

自分がお金を出すクライアントの側だったら、予算オーバーしてまで有名建築家に設計を依頼したいかというと微妙な気持ちだ。邑楽町役場の反対派の気持ちもわかる気がするし、「ハコモノは悪い」というのも一方的な決めつけにすぎない。

その後に建設された邑楽町役場の図面を見ると、どこにでもあるような単純明快なプランでわかりやすい。デザインの良し悪しはともかく、ユーザーからすれば特に不満はなさそうに見える。

建築の文化的価値?

山本理顕氏もそうした状況を理解しつつ反論を展開しているのだが、自分にはそこまで説得力を感じられなかった。「100年後の人たちに対して責任がある」「建築は社会にメッセージを伝える役割がある」という主張は耳当たりがよいが、理想論に聞こえなくもない。

もし反対派と同じ「経済的基準」という土俵で議論するなら、「将来文化財や世界遺産に選ばれるような建築を建てれば、計り知れない経済的効果をもたらす」と強気で主張することもできる。しかしそれは結果論であって、設計者が保証できるものではない。

お金を出す側にとっても賭けのようなものだ。公的機関である町役場にそんな投資ができるとは思えないし合理的でもない。建築作品に価値がないとは言えないが、他の切迫した社会問題を差し置いて税金を配分すべきかというと、何とも言えない。

あいちトリエンナーレと邑楽町

このところ論争になっている「あいちトリエンナーレ」の展示中止・補助金不交付についても、邑楽町事件と似たような背景を感じる。人や立場によって「文化」の意味や価値が異なり、アーティストや建築家が主張する概念は一般的にそこまでコンセンサスを得られていない。

こういう状況をつくりだしてしまったこと自体が建築家の責任でもあると、山本氏は講演を締めくくっている。世間の人たちに、建築の文化的な価値を認めさせる努力が足りなかったということだ。

そのためには上から目線の「教育」や「啓もう活動」というより、予算や共感を勝ち取るための地味な宣伝、ロビー活動が必要ではないかと思う。理屈や説明を抜きにして「文化は尊い」と主張しても、あまり意味がない気がする。

コンペは建築家の息抜きか

アイデアコンペとは、このような世知辛い実務の世界から離れた建築家の気晴らしのように思われる。A1サイズの図面の上で、プレゼンの表現力と批評の切れ味を競う一種の伝統芸能といえる。

外の世界から見れば不可解なゲームで、受賞作が一般社会に影響を与えるようなこともない。それでもスポンサーに名乗りを上げる企業がいて、腕試ししたい応募者が出てくるから綿々と続いているのだろう。

ガラスコンペの受賞作や審査員の講演録を読んで、アイデアコンペは一般社会と建築家の乖離を象徴するようなカルチャーだと感じた。そうした事情を踏まえたうえで、年齢に構わず挑戦してみるというのも楽しい趣味と呼べそうだ。

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