平成の名著『負け犬の遠吠え』を読んだオス負け犬の感想

怖いもの見たさで図書館で借りた文庫本『負け犬の遠吠え』。2003年に出版され、翌2004年には流行語大賞にノミネートされるほどブームになった「負け犬」の語源だ。

今となっては15年前の本だが、全然古臭い感じがしない。おもしろすぎて付箋を貼る個所が増えすぎ、あらためて古本を買い直した。気づけばページは傍線やメモでびっしり。一気に読み終えてしまった。

同じ負け犬に属するとはいえ、男と女では考え方や置かれている立場が違う。おそらく女性でなければわからないツボも多いだろう。あえてオス負け犬の立場から、この本の感想を書いてみたい。

著者はエリート知識人

負け犬本のすごさは、当時30代中頃の女性が書いた自虐的エッセイにとどまらない客観性・普遍性をそなえているという点にある。もし同世代女性にのみ通じる内輪ネタばかりだったら、ここまで広く読まれることはなかっただろう。

負け犬が猫を飼いだしたらもうおしまい

負け犬は子育ての代替として伝統文化を愛している

ひとり暮らしで猫を買ったり、やけに歌舞伎や伝統芸能に詳しい30代女性…。身近な知り合いにも当てはまる人がいてドキッとする。

林真理子の解説によると、負け犬は「高学歴、高収入の一流出版社の女性編集者」がモデルとのことで、個人的には『働きマン』のマンガをイメージしながら読んだ。実際のところWikipediaの著者経歴を読むと、高校時代から雑誌にエッセイを書き、博報堂で研究員を務めていた才女だったと知った。

作中で「結婚できないのは二流エリート」と評しているが、比較対象は緒方貞子レベルの超々エリート。世間一般から見て、著者の想定する負け犬層が上流階級であることは間違いない。プライドが高いのは疑いなく、本書でもダサくて不細工なヤンキー勝ち犬に対しては容赦なく罵声を浴びせている。

下ネタから人生哲学まで

負け犬本の射程はこうした生々しい物言いにとどまらない。

具体的なエピソードを交えつつも、統計に表れない少子化の原因を推測したり、古典文学を引用しながら隠者哲学について語るという抽象的な一面も垣間見せる。「負け犬」と定義した「30代以上子ナシ未婚女性」の生態を切り口にして、都市論や生物学のような領域まで議論を広げている。

単純におもしろいコラムとして楽しむこともできるし、人口動態に関する社会学的分析としても読める。そして『徒然草』の女性版とでもいうべき無常観を漂わせているところが、個人的に興味をそそられる点だ。

以下「エッセイ、社会学、人生哲学」という3つの観点から、『負け犬の遠吠え』にコメントしてみたい。

1.エッセイとしての側面

一読して気づくのは、著者、酒井順子の文章力が尋常でないということだ。いわゆるエッセイ・随筆というジャンルで、ここまで読者を引き込む語り口のうまさというのは、そうそうお目にかかれない。

たとえば「ですます調」と「だ・である調」の混在は、文章術の中でも高等テクニックとして知られている。これを使いこなすのは、村上春樹レベルでないと無理ではないかと思っていた。

酒井さんの場合は春樹方式の逆で、「ですます調」を基本に物腰柔らかな議論を展開させつつ、決め技の自虐フレーズに入ると「だ・である調」もしくは体言止めで主張を強める。女性としての本音トークでは、さらに「あー、うぜぇ!」という感じのくだけたセリフも混じる。

妙齢女性の「痛い、キモい」という振る舞いを、いみじくも「すさまじい」と表現するボキャブラリーはすごい。含羞(がんしゅう)なんて言葉はこの本で初めて知った。

もはや「負け犬スタイル」とでも呼べそうな独特の文体で、振り幅がすごい。知り合いの女性ライターが似たような書き方をするのでうまいと思っていたのだが、単純に「負け犬」の影響なのかもしれない。あるいは別に元ネタが存在するのだろうか。

対概念の絶妙な比喩

『負け犬』の文章がユニークなのは、負け犬・勝ち犬双方に対して、徹底してシニカルな皮肉を加えている点だ。ある意味、日本では神聖視されている結婚や子育て(本書では「子育て教」とまで呼ばれている)という概念に対しても例外でない。「子供という有機物を生産…」などはその最たるものだ。

また、豊富な古典の素養を生かしつつも、難解になりすぎない絶妙な比喩を選んでいる。勝ち犬と負け犬の違いは、童話に出てくる「アリとキリギリス」でたとえられると非常にわかりやすい。

負け犬を商品と見立て、クリスマスケーキ(25日・歳を過ぎたら売れ残り)ならぬ「製造年月日が古い牛乳」(母乳が劣化している?)と表現しているのにも感銘を受けた。女性=乳製品というメタファーも織り込まれている。

そもそも「犬」という用語が何か動物的な生々しさを連想させ、これに「勝ち/負け」という価値概念を組み合わせたのがすごい。「負け犬」という慣用句に絡めつつ、地場産や外来種だったり、保護区、ブリーダー、「のびのび育った…」など獣らしく貶めてみじめさを表している。

そして自ら負け犬と称しつつも、主張していることはまったく女々しくない。むしろ結婚した方が負けだといわばかりの、自己正当化・開き直りのパワーがこの本の魅力でもある。「負け」犬とは、前書きで「つまらない本ですが…」とへりくだって述べるたぐいのエクスキューズに過ぎないのだ。

オス負け犬の機関紙とは

エッセイとして興味深いと思ったのが、女性雑誌を分類してJJ・VERY・STORYを勝ち犬の機関紙と表現している点だ。男性からすれば「なるほど、そういうすみ分けがあるのか」と腑に落ちる。

女性誌というのは、読みすぎるとバカになりますが、読まなさすぎるとブスになるのです。

とは本書に出てくる名言のひとつ。こういうテンポのよい対比表現がバシバシ決められていく。負け犬世代のファッションに関して、若作りしすぎるのは痛いし、高級過ぎても近寄りがたいという、微妙な難しさをうまく表現している。

これを男性誌に当てはめると、子育て世代のパパ向け雑誌OCEANSやMADURO、ビジネス・カルチャー寄りのGQやGOETHEを読んでいる層が勝ち犬体質なのだろうか。MEN’S CLUBやUOMOのコンサバスタイルも女性受けはよさそうだ。

MEN’S NON-NOは20代かつモード過ぎるし、MEN’S EXのようなファッションうんちく雑誌も男受けしか狙えない。LEONのコンセプトはまったくもって結婚に向かないが、負け犬には案外人気がありそうだ。

オス負け犬のファッション考

男性の場合も、婚活で女性受けを狙うならオシャレ過ぎない方がいいといわれる。無難な格好で清潔感さえ保てれば十分。服を買うならセレクトショップ、予算がなければユニクロでもGUでも構わないので、パリッとした白シャツを着ていればOKというのが定説だ。

そもそもオス勝ち犬を目指すなら、雑誌を読むにしてもファッション系よりスポーツやビジネス誌を選んだ方がいいのだろう。子供の頃から読んでいるマンガやギャンブル系の雑誌は、女性の前では読まない方が無難だ。

4万円のジミー・チュウの靴が男に対して意味を持たないように、10万円のジョン・ロブも女にとっては、多分どうでもいい。高すぎる時計や靴を好んで身に着けるのは、結婚相手としてむしろふさわしくないアピールにつながってしまう。

2. 社会学的な側面

著者は厚生労働省の少子化に関する有識者会議に参加していたらしい。そのため生涯未婚率や低方婚という傾向は熟知している。

しかし少子化という社会問題に対して、統計的・歴史的な経緯を分析するのはこの本の趣旨でない。客観的なデータについては、同じ博報堂のプロジェクトである『超ソロ社会』に詳しく書かれている。

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高学歴の女子と低学歴の男子が余っている」という構造的な問題は周知の事実として、著者はその先に突っ込む。すなわち未婚率の上昇は女性側だけの問題でなく、「男が不甲斐ない」せいでもあると喝破しているのだ。

男性側の問題

こうしたオス負け犬に対しても、単に低学歴・低収入なのが問題なだけでなく、無責任だったり(生身の女性に)興味がなかったりと、さまざまな要因が挙げられている。収録されているコラムによると、オス負け犬はオタ夫(オタク)、ダレ夫(やる気がない)、ジョヒ夫(男尊女卑)、ブス夫(モテない)、ダメ夫(問題あり)の5種類またはその混合に分類されるという。

特に結婚できない理由として、ブスとかハゲという差別的表現も辞さないのは痛快だ。「バブル崩壊後の経済事情」など客観的データに頼らず、あえて主観的な性格分析に踏み込んでいるところがユニークといえる。

いちおう男性側から反論してみると、近年確かにオタクは増えたが、甲斐性のない男は昔から存在したものだ。女性の社会進出が進んで収入も増えた結果、相対的に男が見劣りしてきたという事情ではなかろうか。

負け犬に罪がないように、ダメ夫もブス夫もそれ自体では悪いということはない(あまりにかわいそうだ)。責任感や積極性を磨いたりして、後天的に改善できる余地はある。

また、女性のひとり暮らし、強いては不倫こそが未婚・晩婚化の元凶と主張している。どちらが先かという「鶏と卵」問題になるが、たしかに大都市のインフラ・サービスが独身・単身世帯の増加に寄与している点は否めない。

そこからあえて男女間の恋愛問題、不倫をテーマとして取り上げたのが『負け犬』本のオリジナリティーといえる。不倫も負け犬と同じく、都会の風土病なのだ。

負け犬とは、享楽的な恋愛体質者。

そういわれると、独身の30代女性にそこまで罪はないように思われる。むしろ純粋過ぎて男を落とす手練手管が使えなかったからこそ、結婚できなかった(含羞)という説明もある。

もし寅さんが女だったら…

「結婚して子供を産まない女性」というのが同じ立場の独身男性より、いたたまれないという状況は想像できる。

まず女性にとって妊娠という生理現象には年齢的リミットがある。かのブリジット・ジョーンズも映画(ダメな私の最後のモテ期)によると42歳で出産したことになっているが、一般的にはリスクを抱える年齢だ。

加えて妊娠しない場合は生理の回数が増えて、子宮や卵巣が病気になりやすいと聞く。単純に健康問題として、負け犬でいることは由々しきことなのだ。

また、家庭や仕事にとらわれず自由に生きるというスタイルは、男性には許されても女性になると寒々しいという不公平さが存在する。その背景には、結婚・出産することが「女としての幸せ」という根強い価値観がある。

寅さん的キャラクターは、男でしか成立し得ないものです。もし寅さんが女で、全国を巡りつつ淡い恋をする中年女という役柄だったら、そこに漂うのは濃厚な哀しみと痛々しさだけ。

うーむ、これこそ坂井節の真骨頂。確かに隠者や世捨て人という美学は、主に男性社会でのみ許され育まれてきた文化のように思われる。そして著者は果敢にも、負け犬の美学でもって隠遁哲学に挑戦しようとしているのだ。

3. 人生哲学としての側面

負け犬を名乗りつつも、結婚した同世代に「決して負けていない」と悪あがきしてみせるのが本書の流儀である。「勝ち組・負け組」という二分法に準拠しつつも、「しょせん勝ち負けなど人が勝手に考えた妄想に過ぎない」というふうに仏教的な達観を垣間見せるところもある。

強いていえば、これは「負けるが勝ち」という戦法なのだ。結婚・出産・子育てが絶対的正義なら、どれほど負け犬が遠吠えしてもかなうはずはない。それなら大人しく降伏して、我が道を突き進んだ方がよろしいではないか。そういう開き直りによって、負け犬仲間を励ますメッセージがつづられている。

佐藤優は本書を評して、負け犬/勝ち犬という2分類がアリストテレスの排中律に該当すると指摘している(功利主義者の読書術)。そして論理的に破綻のない作業仮説をとなえつつも、2分類の範疇を崩し直感主義という新しい論理学を生み出そうとしている試み…らしい。

理由はともかく佐藤優が「かなり高度な哲学書」と表現しているのは、まったく同感だ。負け犬本は単なる敗者の恨み節ではなく、「勝ち負け」という概念自体を揺らがせようという野心的なプロジェクトなのだ。

悩みつつ生きる負け犬

菜根譚』にあるように、悟りきって枯れてしまうと、それはそれで張り合いがなくつまらない。威勢のいい負け犬も実際には、まだ結婚できるかもしれないという希望は抱いて心が揺れているらしい。

なんかもう、いつまでも若々しくしているのとかって、面倒くさい。思いっきり老けて、ラクになりたい

これは男性側としても同感だ。一応「売り場の棚に並んでいる女性」として、完全に開き直ることも難しいという心境が同情を誘う。負け犬でも勝ち犬でも何歳になっても、悩みを抱えつつ生きるしかないのだろう。

そして孤独のポジティブな面を論じながら、以下のようにと心情を吐露している。

も一つ言うのであれば、幸福であることが良いことかどうかも、今となってはよくわからない

あくまでドライに、功利主義的に考えれば、結婚・出産する意味などないと相対化することもできる。さらに進んで「女としての幸せ」など強いて追及する必要があるのか、と疑問を投げかけている。

しかし『超ソロ社会』で批判される「結婚規範」という暗黙の了解については、疑問をいだくそぶりを見せない。それは負け犬も隙あらば勝ち犬に寝返りたいと願っているからである。またその風潮こそが、負け犬がほかのあらゆる面で既婚者に勝っていたとしても、絶対に勝てない元凶であるからだ。

もし心の底から「結婚などどうでもいい」と思っているなら、負け犬の哀しみなど見せかけのパフォーマンスにすぎない。おそらく著者は「あの人はもう、諦めちゃった人」に限りなく近いのだろう。

結婚するために男に媚びたり外反母趾は嫌だと言っているから、間違って結婚したとしても指輪などすぐ「うぜぇ!」と外してしてしまいそうだ。勝手な推測ながら、わりと早く離婚しそうなタイプに思われる。

内省しすぎると諦念にいたる

オス負け犬にも共通するポイントとして、「生物として不自然な時間的余裕を持っている」ことから来る心理傾向に興味をそそられた。無駄に時間を持て余しているので、「この世に生まれてきた意味」とか純粋に考えてしまうのも、負け犬の特徴だというのだ。

勝ち犬達が、結婚生活の維持とか子育てといったことに躍起になっている間、負け犬はひたすら内省しながら生活しています。ああでもない、こうでもない…と考えていく結果、精神はずいぶんと擦れ、老成し、諦念のようなものが浮かんでくる。

確かに読書や内省に時間を割くほど、穏やかな諦観に達していくのは男女共通の現象なのかもしれない。我が国におけるオス負け犬文学?の筆頭である吉田兼好は漏れなく参照しているし、後年には『徒然草REMIX』という解説本まで出版している。

本書を読んで、何となく知的な負け犬女性と人生観について語り合いたい気もしてきた。互いに恋愛に対するモチベーションは低いかもしれないが、男女の負け犬は話が合いそうな気がする。しかし付録の座談会によると、オスメスの負け犬は同性に近いので愛が成り立たない、という感じで冷静に締めくくられている。

確かにここまでデメリットを熟知しているのだから、あえて負け犬同士が結婚する理由など見当たらない。サルトル・ボーヴォワール張りの契約結婚は現実味があるが、そこまでして無理に結婚する必要があるのだろうか。

生物学的な存在意義

負け犬の存在意義や、世の中への貢献という趣旨で語られる部分は読みごたえがあった。以下は著者一流のジョークだ。

今の若者たちが、私達負け犬の姿を見て「ああはなりたくない」と思い、急に結婚・出産に励むようになって一気に日本の少子化が解決する

別の個所では、負け犬はその旺盛な消費活動により内需を増やし、都市文化の担い手になるという妙にポジティブなコメントも出てくる。その調子でいけば、「勝ち犬という概念を成り立たせるために負け犬という存在が必要」というやけくそな論法も成り立つだろう。

確かにごく間接的な意味においては、負け犬でもダメ夫でも生物界において存在意義はあるのかもしれない。

世の中では、哀れむも哀れまれるも、持ち回り。自然界の食物連鎖みたいなものだしな…

ここで「食物連鎖」という生物学的なメタファーを持ってくるあたりがうまい。生態系のなかで共存している種は、たいていエサや活動範囲という別のニッチを占めることにより棲み分けが行われている。

表面的には意味がなさそうだが、結果的に存在している限りは「何か居場所や使命を与えられている」という宗教的な解釈もできる。

負け犬は進化の過程?

長期的に見れば、先進国の大都市における「負け犬の増加」という現象も、進行しつつある自然選択の結果にすぎないのかもしれない。近い将来、自家受精で繁殖するナメクジのような中性人間が突然変異で生まれてくる可能性もある。

負け犬とは進化の途上にあるニュータイプ。「動物と超人との間に張られた一本の綱」という、前向きなのか惨めなのかわからない考え方もできる。そうして負け犬たるエリート女性たちの屍の上を、勝ち犬「ヤンキー達の子孫」が渡っていくのだ。それはそれで幸せなことなのかもしれない。

『負け犬の遠吠え』を反面教師として道を踏み外さないために、10代や20代の女性に税金を使って無料配布してもいいと思う。一方で「こんな本を読んでいるという時点で、すでに負け犬」という、いかにも著者らしい皮肉で釘を刺している。

負け犬文学に親しむほど負け犬化するという悲しさ。そしてこんな長文レビュー記事を読むあなたも暇な負け犬のひとり…

負け犬はなるべくしてなる。そして統計上はさらに割合を増やしつつあるのが事実。この本を読んで、「少子化を解決するには、ひねくれた負け犬を矯正するよりも、勝ち犬に2匹目、3匹目を生んでもらった方が効率的」という感想をもった。

最後に、負け犬本の装丁と表紙イラストは秀逸すぎる。当時ベストセラーになったのはデザインの貢献も大きい。中まで読まなくても、この表紙だけは記憶に残っていた。さすが大手広告代理店出身のクレバーなエッセイスト。プロダクトもマーケティングも超一流なプロの仕事だと感心した。

負け犬の遠吠え (講談社文庫)

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