現代アートによる癒し?『無意味のススメ』レビュー

図書館の新着コーナーに並んでいた、川崎昌平の『無意味のススメ』という本。とぼけたキャラクターがデッサン風の手につかまれながら、「意味に殺される前に。」と意味深なセリフを吐いている表紙が気になる。

「なんじゃこりゃ?」と思わず手に取ってパラパラめくってみると、ひたすら「無意味」という概念を追求しつつ表現しようとするナンセンスな本であるらしい。おもしろいかどうかわからないが、試しに借りて読んでみた。

意味のないことを目指した本なので、その書評も無意味ということになるかもしれない。しかしこれもまた、著者の意図した無意味の布教に貢献することになるだろう。自分なりに汲み取った本書の意味のようなものをまとめてみたい。

新手の現代美術セラピーか

自己啓発とか心理学の本かと思って読むと肩すかしを食らう。なかには無意味を実践するためのハウツー要素も紹介されているが、どちらかというと思想的な本だ。引用されている『老子』に通じるものがある。

強いてジャンル分けするなら、「現代美術による癒し」とでも呼べそう。意味のない行為によって、逆説的に新しい意味を生み出そうとしているパフォーマンスのようだ。

普段アートとは縁のない社会人にとって、ほっこりした笑いや精神的ゆとりをもたらしてくれる可能性がある。性格が真面目で、仕事をがんばりすぎている人ほど効果が期待できる。

逆に根が不真面目で、普段からのらりくらりと暮らしている人には、釈迦に説法ともいえる。仕事の息抜きやサボり方のコツを心得ている人は、「なにを今さら…」という感想を持つだろう。

イラストがいい味を出している

読み終えてから著者の略歴を見ると、東京芸大の大学院卒。12年前の2007年に「ネットカフェ難民」という言葉を生み出した有名人だったらしい。本来はアーティスト気質な人だと思うが、出版社で編集者をしていることもあってか文章は読みやすい。

すでに10冊くらい出版しているベテランで、なかには『労働者のための漫画の描き方教室』など、個人的に気になるタイトルもある。いずれもやキャッチコピーが秀逸で、イラストも含めて独特な世界観をかもし出している。

本書に出てくる、ふてぶてしい見た目の女の子キャラは、著者の定番のようだ。なぜかネクタイを締めていたり、触角のような線が頭から出ていたりする。背景もほとんど描かないミニマムなイラストだが、そういう余白のおかげでかえって想像力が膨らむ。

『無意味のススメ』は文章と詩と絵が同じくらいの割合でミックスされている。もし哲学的問答を繰り返す堅苦しいテキストだけだったら、とうてい読み進められなかっただろう。逆にイラストだけだったら、「ふーん」という感じで印象に残らなかったと思う。

漫画に添えられた詩

個人的にこの作品で一番重要だと思うのは、イラストに添えられた詩のような文章だ。それを次のページでキャラクターがビジュアライズしつつ、セリフで補足説明する。例えばこんな感じで…

意味があることを疑ってみよう。それから、その意味を語る人々に問い返してみよう。「どうして、そんなにつらそうな顔をしているんですか?」と。

(キャラ)「意味のあることをしているから、疲れるんです。」

川崎昌平『無意味のススメ』

もしこのテキストが美術館の壁に書かれていたら、現代アートとして十分通用しそうな気がする。さらっと描かれたような漫画のひとコマも、水墨画のように余白との際どいバランスで成り立っている。表現としては、とても洗練されている。

河原温との出会い

本書の「おわりに」で、著者が河原 温(かわら おん)のDate Paintingというコンセプチュアル・アートを見たときの衝撃について触れられている。”OCT. 31, 1978”など、ただキャンバスに日付だけを描いたシリーズが有名で、まさに「意味がない」現代美術のお手本ともいえる作品だ。

著者の見解によると、「そもそもそうしたアート作品自体が私たちの理解を欲していないのです」。つまり、意味がわからないのは当然であって、それを恥じたり怒ったりする必要はない。

そして「無意味と感じたところをスタートラインとして、思考を積み上げれば、いつしか自分にとっての価値を見出せるのです」という解釈からすると、作品は決してコミュニケーションの可能性を閉ざしているわけではない。

作品に(わかりやすい)意味がないからこそ、鑑賞者が「自由に」意味を考えられる余裕がある。本書もそのような読まれ方や役割を想定しているように思われる。

無意味の定義

まずは「無意味」が何かを定義しないと話が進まない。著者は論理や言葉の意味性というものまでは放棄していない。

ここでいう無意味とは、ニヒリズム(虚無)とは違うものであるらしい。ニヒリズムは相手を認めて尊重したうえで、あえて否定する能動的な行為と説明されている…「ともあれ相手なくしてニヒリズムは成立しない」。

これに対して無意味は、「単体で存続しうる」。つまり対象の肯定でも否定でもなく、関係なくそこにあるものが無意味であるようだ。

自分なりに解釈すると、本書の「無意味」とは誰もが認める幸福やお金といったものの価値を否定するものではない。一般社会に対する敵意はなく、かといって無関心なわけでもない。

ただ「それとは別の考え方や生き方もある」というオプションを提示するような柔軟性。強いて言えば、意味の追求に疲れた現代人に本来の休息を思い出させるような概念だと感じた。

無用の用

本の途中で意味もなくページの素材が変わっていたりして、後で種明かしを読むと思わずにやっとしてしまう。いろんなやり方で「無意味さ」を演出したり、デザインしようという工夫が散りばめられている。

しかしこの本が誰にとっても文字どおり無意味だったら、そもそも出版されなかっただろう。無意味を目的としつつも、実はその無意味を通じで普段とは別の「意味」を生じさせようとする二重のコンセプトが意図されている。

本書の役割は、つまるところ無意味を自分にとっての意味あるものとするための思考や行動を説くところにある。

川崎昌平『無意味のススメ』

「無意味の価値」「無意味の効果」「無意味の効用」…そういった言葉の背景には、「いったん意味を外してゼロベースで考え直してみよう」という感じの方法論が見え隠れしている。つまりここでいう無意味には、「無用の用」というメタレベルの目的が想定されているのだ。

意味の廃人としての余生

自分の経験を振り返ってみて、「こんな仕事をして意味があるのか」と考えることがよくあった。稼いで食うためには仕方ない仕事でも、実際に使う人やエンドユーザーの顔が見えないと意味がないように思われてしまう。

ぜいたくな悩みともいえそうだが、そもそも「人はいずれ死ぬ」という唯一確実な哲学上の真理を思い出すと、この世で何をしても意味はないように思われる。本質的に意味がない人生でも、仕事なり芸術なり宗教なり何かしらやりがいを想定して活動しないといられないのが、人というものなのだろう。

こういう風に立ち止まって考えることを無意味と排除してきた効率最優先の社会で、われわれは疲れ果ててしまっているように感じる。そもそも資本主義を発展させる契機になったといわれるプロテスタンティズムの倫理には、どことなく強迫神経症的なニュアンスがある。

生涯をかけてミッションやコーリング(天職)を達成したあとに残されているのは、本書の言う「意味の廃人としての余生」に過ぎないのだろうか。宗教革命や産業革命以前の人類は、生産性が低い代わりに無意味なことをして案外楽しく暮らしていたのかもしれない。

ここまで考えたうえで、『無意味のススメ』は少なくとも自分にとっては意味があったと思う。お金を払ってまで買うかどうかというと微妙だが、わざわざ図書館で借りてきた甲斐があった。

大半の人には意味がなく、手に取られることもないかもしれない。しかしこういう本が不思議と出版されて、世の中に存在していることは歓迎したい。

無意味のススメ: 〈意味〉に疲れたら、〈無意味〉で休もう。

無意味のススメ: 〈意味〉に疲れたら、〈無意味〉で休もう。

川崎 昌平
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